経歴と引用文献及び資料

引用文献及び資料

川崎沖縄芸能研究会50年の歩み 川崎沖縄芸能研究会著2003年

昭和23(1948)年秋も間近い頃、川崎にて沖縄芸能活動始まる、米須清仁初代会長中心に金城時男代、亀川盛安化他の先達が立ち上がり音楽師範・池宮城喜輝先生、舞踊師匠・渡嘉敷守良先生を招き指導を戴き、会員数十名で川崎沖縄芸能研究会として発足。

50周年記念誌
古江亮仁 フルエ リョウニン 氏の寄稿
研究会の発足は、昭和24(1949)年川崎市中島町に野村流音楽 池宮喜輝氏
舞踊家 渡嘉敷守良氏が仮住まい
大島町 米須清仁氏が大正13年川崎市政が施行された年から居住、池宮氏に師事
17世紀 琉球王朝の江戸上り歌舞音楽の総責任者城間清信(雲上人)の末裔

その両名匠を師事する人達
池宮喜輝氏
琉球古典音楽に加え国内外の資料調査研究に実績のある人その教えを受け学んだのが
米須清仁、仲宗根忠治、前田久進氏

渡嘉敷守良氏
琉球王朝時代の御冠船踊や冊封待の時代に踊られた型を持つ生き残りからも学んでいる
その弟子に佐久川昌子、平良リエ

大正12年に阿波連本啓が川崎で沖縄出身者に舞踊を教えていた

昭和24(1949)年に結成
米須清仁を中心に焼け残りの

仲井間弁護士、渡嘉敷亮、金城時男、亀川盛要氏らが発起人
年2回の公演をしていたが、公演の諸経費を賄うのは容易では無かった都度、米須清仁氏が立替たり負担していたが今後の見通しはつかない状態で後援会を作り市内外の企業に働きかける事にした。

古江亮仁
昭和26年に川崎市教育委員会の文化財保護と文化団体育成支援の担当として嘱託を受けた。
しかし、沖縄芸能を演ずる専門家やその技能の伝授を志す人たちが川崎にいることについては聞かされていなかった。
ましてその一月前に公民館で組踊や舞踊、音曲が公演されたことも知らなかった。
耳にしたのは翌年の5月、社会教育課の婦人教育の担当者が、当時川崎市の連合婦人会が毎月催す婦人の集いにおいて、沖縄出身者の婦人達が踊りを披露することになっていたが、出演が近づくにつれ怖じ気づいてしまい、本格的に教えている人にかわるので了承を報告しているのが耳に入った。それを見て、想像していたより素晴らしいと感動役所に戻り課長に報告したところ忙しいのであとでと、一ヶ月後に催促があった。

沖縄芸能を演ずる専門家やその技能の伝授を志す人々の支援を担当

教育委員会 松尾課長
中島町婦人会 安藤さん
金城時男翁に合う

伊波普猷の古琉球は愛読書
東恩納寛惇の論文も読んでいる

昭和12年(11年) の公演には行くことができなかった。。。

こちらに伺ったのは、川崎の沖縄芸能団体が保有する伝統的な芸能が無形文化財として優秀で保護育成の対象になるように思われるので、市教育委員会で前向きに手をつけるように考えており、沖縄の方々の考えも伺っておこうと思って参ったのですと告げると翁は飛び上がるほど驚き喜ばれた。
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無形文化財のとり上げについて、いろいろ取り沙汰されその功績を後になって誤解を生むような事が関係者から語られているそれは残念である。金城翁が口角泡を飛ばして沖縄芸能の保護を働きかけたのでもなく、それ以外の人からも役所へ働きかける事は全くなかった。

昭和27年時の立場
沖縄芸能保護の為の趣意書(案)
沖縄の芸能Ⅰ音楽・舞踊・演劇等の価値は早くから

当時より名称は変わらず今年(2019)で70年になります。

国立劇場おきなわ運営財団法人 理事 西角井 正大

昭和24(1949)年終戦後4年とまだ浅い